2022年3月5日(土)- 3月16日(水)
中島由夫展 PAX
Yoshio Nakajima Exhibition
オンライン・ミュージアム
※オンラインは会期終了後もご覧いただけます。
北国の冬は永く、暗くつらい毎日である。
森や林の中に咲く野花、この花さえも、地下まで凍る、冬の寒さに耐えて春を迎えるのである。
太陽を待ち、あこがれる大自然と人間。その姿は健気で私の心をとらえる。
北欧の天地が冬の支配から脱して、春、太陽をまつそのよろこびは、
いつも太陽のある国の人々とは全くちがう。
6月に入り白夜になる。
人々の表情は明るく、大人達も子供の様に外にとび出していく。
雪の残りがキラキラ光る。
太陽が大自然と人間に愛を与えてくれるのだ。
白夜。それは生命の炎が燃焼する時であろう。
私も、自分の求めている太陽と大自然の太陽とに出会う。
中島由夫
(「The Son of the Sun 中島由夫」より)
DOCUMENT 1940-1994
1994年、中島由夫研究の基礎文献ともいうべき「Yoshio Nakajima Document 1940 - 1994」(編集:佐野玉緒)を海文堂ギャラリーから出版しました。
その全ページをご覧いただけます。
~中島由夫について~
中島由夫は1940年 埼玉県生まれ。その破天荒な行動で世界を駆け抜け、1960年反芸術が勃興する中パフォーマンス集団「アンビート」を結成。ダダカン(糸井貫二)等とともに街頭アクションを展開しました。
1964年、徒手空拳、ヒッチハイクでユーラシア大陸を横断、ヨーロッパに渡り、アムステルダムで「プロヴォ」という街頭運動に参加、国外退去処分。その後前衛芸術運動「CoBrA」のグループとかかわりながら「ウベボダ・シンポジウム」など精力的な活動を続けてきました。1966年以降はスウェーデンに拠点を移します。
近年、中島由夫の60年代の前衛的なアクション、パフォーマンスなどを中心に研究と評価が進み、黒ダライ児の「肉体のアナーキズム1960年代・日本におけるパフォーマンスの地下水脈」(2010)や嶋田美子の「中島由夫シンドローム」(2015)などが詳細に足跡を辿っています。
ギャラリー島田はその前身の海文堂ギャラリーで1985年に個展を開催。以来、数多くの展覧会を開催し、まだまとまった画集や研究がなされていないころ、1990年に画集を、1994年に「YOSHIO NAKAJIMA DOCUMENT 1940-1994」を刊行するなど近年の研究への土壌を拓いてきました。
【中島由夫記念美術館 in スウェーデン(英語)】http://www.yoshionakajima.net/
ギャラリー島田のコレクション作品より
「1995年の阪神淡路大震災の後、私は「アート・エイド・神戸」の活動に取り組むことになる。
”すべての地に新しい陽は昇る!”は、私たちを励まし続ける言葉だった。
その後刊行したアート・エイド・神戸の記録集の表紙には、北欧の太陽を描いた中島さんの鮮やかな作品を使わせてもらった。」
島田誠
~中島由夫とギャラリー島田の関わり~
1984年 海文堂ギャラリー(当時)を訪ねてきた中島由夫・文子夫妻と島田誠が出会う。
1985年 第1回目の個展を開催。以後、毎年開催。
1989年 海文堂書店の東壁に30×4mの巨大壁画完成。
1994年 手彩色銅版画集「YOSHIO NAKAJIMA DOCUMENT 1940 -1994」刊行(佐野玉緒編)
1995年 阪神淡路大震災時 アート・パフォーマンス「全ての地に新しい陽は昇る」和弘美術館(兵庫)に収蔵。
1996年 ~1998年 仮設住宅ふれあいセンターや震災遺児のためのレインボーハウスに作品を寄贈。
2001年 ギャラリーを移転。神戸・北野にギャラリー島田を設立。
中島由夫展の開催。(‘05、‘08、‘10、‘17....)
2010年 明石市立文化博物館「CoBrAを超えた太陽の画家 中島由夫展」の開催に協力。
【実展示について】
中島由夫展「PAX」 2022年3月5日(土) ―3月16日(水) ギャラリー島田 B1F un にて
会場写真や作家テキストはホームページにてご覧いただけます